こんにちは(^ ^)♡
MILADY代表 本山愛美です!
現役の理学療法士ですが、他にもいろんな肩書きがあります。
新型コロナウイルスの大流行は、世界中にとって生き方を考え直すきっかけになったのではないでしょうか。
実は私もその1人です。
コロナがなかったら、私は起業していませんでした。
整形外科での12年
高校卒業後、整形外科にリハビリの助手(以下リハ助手)として就職し翌年から夜間の専門学校に入学。
無事に4年で卒業した後、そのまま整形で7年勤めました。
その間に結婚、妊娠し3人の子供を出産。
整形での日々はたくさんの患者さんの数をこなす事に必死で、
治療家としては全く知識不足のまま、ただただ人に触れる時間が過ぎただけのように思います。
脊髄損傷、脳性麻痺、脳梗塞、片麻痺、アキレス腱断裂、大腿骨骨折術後…
本当にさまざまな疾患の方に触れる事ができ、良い経験になりました。
理学療法士を目指したきっかけはそんなに大した理由ではなかったので、
「もっともっと患者さんのために勉強しないと!」
というプロ意識や危機感などは全くありませんでした。
小学校からバレーボールしかしていなかった私が専門学校に入れた事もびっくりで、
さらに卒業し、国家資格をとれた事も信じられませんでした。
そんな私はPTになる前にリハ助手をしていたので、卒業後の就職先も決まっており本当に何の危機感もありませんでした。
PTとしては新人でありながら、先輩方よりも病院経験のある立場だったので、
たくさんの患者さん達に可愛がられながら、本当に本当にみなさんに甘えていました。
当時の私は国家資格を持ったプロフェッショナルというよりも、
マッサージがちょっと上手な女の子ぐらいな感じだったと思います。
当時は本当に新患をみるのがイヤで、助手さん達に毎回拒否してました笑笑
それが上司に見つかって、仕方なく担当するという、最低最悪な人間でした。。
児童発達支援での経験
3人の子供を出産後に整形を退職し、憧れの専業主婦になりました。
退職金もまあまあいただいたので、しばらくはゆっくり子育てに専念できましたが、
2ヶ月も経てば、3人の子供と1日中家に居ることで自分の時間が全くなく、
徐々にストレスになっていきました。
こんな夢のような時間も半年で限界がきました…
ちょうどその頃、夫のヘッドハンティングの話が上がり、
転職や引っ越しを機に、保育園に預けて就職しようと決めました。
整形外科での甘えさせていただいた環境の中でも、PT業務に疑問を持っていました。
「この仕事って誰でもできそう…」
まったく勉強していない私と、業務終了後に残って学ぶ同僚と給料は同じです。
ハローワークに行くと、病院や施設以外にもPTの需要があることを発見し、
子育て経験が活かせるかも(?)と思い、児童発達支援への就職を決意。
主に未就学児の発達障害や精神障害のある子供たちと関わりました。
整形でも数名の障害児との関わっていましたが、
全然比較にならないほど、知識不足と経験不足を痛感しました。
(全く勉強してなかったので当たり前ですが…)
1日のスタートは、朝のあいさつ。
絵本の読み聞かせや季節に合った歌をみんなで歌います。
箸の持ち方の指導やトイレのお世話など、病院では経験できないことがたくさんありました。
私自身は、障害のある子供をもつ親ではないので、親御さんを全て理解することはできないけど、
『大切な子供の親である事は同じ』だと思いました。
我が子にしてあげたい事、これからどんな事ができるようになってほしいかなどを聞きながら、
遊びの中で楽しみながらできるリハビリを考えました。
その遊びを考えるのも子供達への伝え方も、今までにない経験で本当に勉強になりました。
リハビリは人生の質を高める仕事だけど、その相手(患者様)と関われる時間はほんのわずか。
そのわずかな時間の中で目標を達成するために
何を優先していくのか、どんな訓練をしていくのか。。
リハビリは永遠にアップデートとレベルアップが必要だと痛感しました。
そして、4人目の妊娠が発覚。
妊婦生活と3人の子育て、仕事の両立がいよいよ難しくなった事もありましたが、
支援する上で上司との考え方が合わないこともあり、退職を決めました。
ターニングポイントは老健
4人目を出産後、ゆっくり産後LIFEを満喫するつもりでいたら、
前職での勤務経験が浅かった為、産休育休の手当が出ない事がわかりました。
急いで諸々の手続きを済ませて生後4ヶ月の三男(4人目)を保育園に預け、
老健で働くことにしました。
児童発達支援の経験を通して
「もっと施術がしたい」と感じたのも理由の1つでした。
【人に触れる事で状態を確認し、少しでも回復の手伝いができる】
その手段が私には合っているかなと改めて感じました。
高齢者との関わりは整形外科でたくさん経験していたけど、老健はまた少し違いました。
ある入所者さんは、施設を出て家に帰れるレベルだけど、家族側の都合で帰れない。
このケースは意外と多く、入院や外来施設と違い最終目標が大きく変わりました。
老健での役割は、自宅へ帰らない方への目標をどこに設定するか。
ここも新しい発見で、勉強になりました。
介護職との連携もかなり重要でした。(←むしろこれが優先?!)
夜間の入所者さんのお世話や見守りをしてくれるのは夜に勤務をしてくださる看護や介護職の方々。
どこの施設も人手不足なので、本当に毎日大変そうです、、
他のスタッフとの連携も必要になってくるので、
本人の状態やリハビリスタッフだけの意見だけではなかなか進みません。
在宅復帰やグループホームなどの空きを待っている間だけ、入所されている方、
本人は在宅復帰可能なレベルだけど家族の都合で帰れない方など、
関わった方とのリハビリを通して自分自身の人生も考えさせられました。
『この健康な身体は、当たり前じゃない』
いつ、どこでどうなるかわからない。
その時どうする??
そして、申し訳ありませんが、
私はこんな人生は送りたくない!!と心から思いました。
たくさんの経験をされてきた高齢者の方々から感じる今を一緒に過ごし、
私の未来のためにできることは、今のうちにやらないといけないと
強烈に感じました。
人生を変えた瞬間…
このまま子供が大きくなってきたら正社員に戻って、
ずっとPTしていくのかな〜なんて考えていた矢先、
新型コロナウイルスの影響で仕事に出れない日が増えてきました。
そんな中感じたのは、職場に依存していること。
働けないから収入がない = 生活ができない
突然、将来が強烈に不安になりました。
生活するための仕事ができないなんて今まで全くなかったので、
転職しようと考えたり、別の仕事を追加で始めようかなどいろいろ考えた結果、
『自宅できる副業をしよう!』と決めました。
まず始めたのは、「ブログ収入」
PC1台でできるし、場所も選ばない。(誰でも考えそうなことですが…笑)
いつでもどこでも、子育ての合間にもできる!と思いました。
てか、私PC持ってないじゃん。。。(T ^ T)
やると決めたら、すぐ始めるタイプなので眠っていたiPadではじめました(^^)♪
「ブログって日記でしょ?」
「日記をなぜ他人に公開する必要があるのか、ナゾなんですけど…」
そんな私がブログを開始 笑
人は本当にヤバいと思ったら、一瞬で変われます!!
そんなブログは、お手軽だけど奥が深く収入につなげる為には知識も時間もかなり必要でした。
・記事を書くまでにいろんな準備がいること。
・書くと言っても、読んでもらうため(相手目線)の書き方や見せ方がある。
・書いても簡単には読んでもらえない。
などなど、この経験だけでもたくさんの気づきがありました。
今は個人も企業もある程度は同じ土俵で戦える時代になったので、
なるべくお金をかけずにできることを、コツコツやりました。
この、ふと思いついたブログでの副業が
今までの人生の反省と、未来への決意に変わっていきました。
新しい挑戦‼️
整形時代の優秀な先輩で独立した人がいた時は「すご〜い、勇気あるな〜」って完全に他人事。
まさか私が起業しようするなんて想像もしていませんでした。
コロナで「1のリスク」を痛烈に感じた私は、複数の仕事を同時進行で進めることに決めました!!
複数の事を同時に進めるのは割とできる方で、その時々で優先順位を決めて24時間をフル活用しています。
女性はみんな得意なんじゃないかな??って思ったりしています。
PTも副業する時代ですね。
もう、副業しないと本当にヤバい…
国も会社も面倒見れないから副業解禁になりました。
副業禁止が禁止な時代なんです。
コロナ流行のもっともっと前から医者もアルバイトしていました。
経営者は「1のリスク」を知っています。あなたに教えてくれないだけ。
これ以上給料が上がることはない。
だけど、少子高齢化で仕事をしないと生きていけないし電気代や物価の高騰が続いていきます。
将来の不安は募るばかり。。
子供が大きくなってから?
その後はすぐに親の介護が待っているでしょう。
そして、私もあなたも必ず歳をとっていきます。
やりたいことをやるには、お金も時間も必要。
どんな未来にしていくかは、自分の選択と行動だけです。
お金があっても時間がない人。
時間はあるけど、お金がない人。
目標をもって行動してる人は、収入も上がり自由な時間もついてきています。
今の私の生活は忙しい中でも充実しています。
新しい世界を知り、たくさんの女性医療職に別の世界もみてほしいから。
まだ動ける今のうちにたくさんの収入源を構築中だから。
どんな未来になるのかワクワクしています!
結婚や妊娠で生活環境が変わってしまいがちな女性だからこそ、
自動的に収入を得る方法や働き方の見直しが必要です。
『貴女はいつからでも、何にでもなれる!』
あとは、選択して行動し、失敗をたくさん経験することです。
女性医療職の新しい挑戦を応援しています。